釣り
海釣りに誘われ、お供した。
寒風にさらされながら、凍える手でえさをつけ魚を待つ。
えさをとられては付け直しの繰り返し。
手はベタベタでくさくなり、耐えられない感触とにおいだ。
そのとき隣で釣っている釣り人が目に入ってきた。
なんと海釣りでルアーなのだ。
もうつりはそっちのけでその人を観察した。
えさを付けなくていいし、投げては巻き上げ投げては巻き上げの繰り返しで退屈しそうにもない。
ワタシはコレだとひらめいた。
今度誘われたら絶対ルアーにしようと。
ところがルアー釣りも、それなりにノウハウがあり短期間での海釣りデビューは難しいらしい。
手始めに、川や湖で小手調べとすることにしたが、近くの湖では、外来魚ばかりが釣り上がるので全くお話にならない。
どうも飢えているようで、ルアーでなくても釣り針を垂らすだけで食い付いてくるようでは、練習にもならない。
ここは思い切って、海での実践に転換することにした。
後日、まずは餌を付けてのノーマルな釣りに勤しむも、相変わらずの当りの無さに閉口。
ここは気持ちを切り替えて、早速、ルアーフィッシングへ挑戦する。
ところが、無風であるにも関わらず、どうもコントロールが良くないのである。
そう、投擲の練習をほとんどしておらず、ポイント周辺にルアーを投げられないのである。
ルアーは泳がせるタイプのものではないので、完全に私の失敗だ。
近所のビオトープ
我が家の近くの公園にはビオトープがある。
いつ出来たのかは知らないが、あの生態系をまもるというビオトープ活動の一環に違いない。
ガマやアシが生えた池には、めだかをさらに小さくしたような超小魚やタニシ、育ちまくったどでかいフナやザリガニ、鴨なんかがたまっている。
なかなかに生き物が過ごしやすそうないい環境が整っている、と散歩をしながらいつも思っている。
でもそんな生き物達の生息環境である池も、人間にとってはただの遊び場に化すようで。
よく釣りをした形跡がある。
当たり前であるが、その池は釣り禁止である。
釣ったって食べるわけでもなし、なんの意味もないところで釣りをしてどうするのか。
ちなみに余談だが、この世でキャッチアンドリリースの釣りほど悪趣味なものはないと思っている。
釣った魚をかえすからいいというものではない。
釣るということは、魚の身体に傷をつけるということだ。
それを何度も繰り返すようなキャッチアンドリリースは、ただ単に魚たちの命を弄んでいるようにしか思えない。
あくまで持論だ、人それぞれ考え方はあるだろう。
それは置いておいて、釣りの形跡以外にも水フーセンやらヨーヨーのゴミなんかも散らばっていたりする。
先日は、池の上に、プールや海用の大き目のビニールボートが浮かんでいた。
こんな藻のはえた、小魚たちがうじゃうじゃいる池の上でボートを浮かべて何がしたかったのだろうか。
どこからこんなでかいものを持ってきたのだろう。
一体いくつの人間が遊んでいるのか知らないが、意外に無邪気な遊びに興じているようで、ちょっと笑えるのである。
私だったら、こんな落っこちたら息が止まるほどのもったりとした池では、絶対に遊びたくないところだが。