保育園

保育園の参観日に行った。
園児たちの可愛くて元気な姿に思わずニッコリ。
久しぶりに会うお母さんたちとの会話も弾んだ。なのに…。

その後の懇談会での出来事。
園児たちの様子や子育てについて意見を言っていた時、一人のお母さんが口を開いた。
我が子が保育園でいじめられて、かまれた跡や傷を作って帰る。

やめてと言えない我が子も悪いけど、先生も気づいて注意したり、それぞれの家庭でも指導をしたりして欲しいという内容。
確かに気持ちはわかるし、我が家のワンパク坊主にも話をしなければと思った。

が…、その子のお母さんは気持ちが高ぶったのか、同じことを延々と言い続けるばかりでいつまでたっても終わらない。
最初は暗かった雰囲気は、ついにしらけてしまった。

感情を爆発させても何にも解決にはならないし、孤立してしまうことが解らないのだろうか。
そういう時は、オークションでもやって、気分を変えてみることだ。
いじめの原因は、今日明日で解決出来る問題ではない。

休ませても問題無いのではないか、という意見もあったが、確かに保育園だったら全く問題は無いだろう。
しかし、それは解決に繋がるかどうかは、正直、誰にもわからない。
不妊治療の末に授かった子ということで、かなり過保護の傾向はあるようだが、それは仕方のない事。

不妊治療の大変さは、経験者にしかわからないが、それといじめは関係性は見当たらないのだ。
時に英語で話しているので、恐らく海外滞在が長かったのかも知れないが、ほとんどの父兄は英語が理解できなかったようだ。

夢と現実と

私がまだ幼稚園児だった頃の、作文や絵が仕舞われた段ボールを、先日整理しました。
そこに、卒園間近に書いた「しょうらいのゆめ」という作文がありました。
縦書きの罫線が20行分くらい引かれたプリントで、私はその紙いっぱいに将来の夢を書いていました。

いっぱいに、というところが面白いところです。
恐らく先生に「紙いっぱいに書いてね」と言われたのだと思います。
幼い私は、1行にひとつずつ「○○になりたい」「○○になりたい」と箇条書きで書いて、20行全てを埋めていました。
最初の5行程度は、「ピアノのせんせいになりたい」「ケーキやさんになりたい」など、比較的普通のことが書かれていたのですが、その後は書くネタが切れてしまったのだと思います。
「じがじょうずになる」「うたがじょうずになる」と、夢というよりは目標のようなことが何行か書かれていました。
まあここまではまだ許容範囲です。
更にその後は、なりたいとも思っていないだろうに、適当に思いついたことを書き並べたようです。
「ダイヤモンドやさんになる」「ゆうえんちのあんないがかりになる」などなど、よく分からない職業になりたい、と書かれていました。
幼い私はおバカだなあ、と、自分のことながら微笑ましかったです。
そして、その作文に書かれていた先生のコメントも素敵でした。
「●●(私の名前)ちゃんはたくさんなりたいものがあるんだね。おとなになった●●ちゃんがこのなかのどれをかなえているか、いまからたのしみです。」と書かれていました。
大人になった私は結局、中学校と高校の教員を経て、今はフリーター生活を送っています。
その作文には書かれていなかったことですが、なかなかに楽しい人生を送っているので、悪くはないと思います。
小さな頃の夢は叶っていないけれど、結局のところ今の自分が満足の行く人生を送れているなら、それで私は幸せです。

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