問題解決する事を楽しみに
社会には色々な慣習と価値観がありますね。
安定した環境で長年に渡り普遍的で誰にとっても良い結果が出て、誰でもが善人と認められる結果になり、不安も後悔も孤独も無く上り坂の人生を歩むべきでしょう。
私が子どもの時は大多数の人間の道はそういうもので、そうあるべきだし、そうなる筈だと思っていました。
親世代の人々や世間一般が、「今の人達は恵まれている。」と言っていたので人類全体がだんだん良くなるばかりで善人も多くなるという気がしていたようです。
不安は誰にでも生じるもので、自分が不安に感じる事では人は不安を示さなかったりするのですが、人に依って同じ不安への対処の仕方を心得ていたり、もっと大きな不安があるのでそれ以外は不安の中に入っていなかったり、ということがあるようです。
乗り越えられそうな不安は、問題を解決する方法を考えれば、逆に自信に繋がるかも知れません。
と思って何か色々読んだり方法を考えて頑張っていた時もあったのですが、難しい事ばかりです。
でも頑張らなくちゃ、なのです。
頑張った人には、運が味方することもあるでしょう。
そもそも「恵まれている」の基準は、物価的なもので判断する人が多いですよね。
昔に無い物が今はあるという、当たり前の事をもさ重要そうに言う人は、単なる妬みや僻みが原点ではないでしょうか。
それよりも暮らしやすさや日常の満足感などで評価することも重要です。
心の豊かさは、モノでは満たすことは出来ません。
自分の体形を肯定的に認める私
ぽっこりとしたお腹。
私はこのお腹としばらく付き合っています。
たぶん、出産後からずっとです。
いつ引っ込むのかと自分でも不思議なのですがなかなかこのお腹は隠れることをしません。
多分これからも長い付き合いになりそうですが、逆に自分が痩せていた時のことを思い出せなくなってきているほどです。
でも、結構このお腹見れば見るほど愛着もわきます。
まずは手触りが抜群です。
プルンッとした感じが私にはたまらず、時々お腹の肉を一人で寄せ集めぶるぶるとさせて遊んでしまう時もあります。
さらに私が出産を頑張った功績が残されているような気がします。
これはかなりのプラス思考だと自分でも思います。
ここに子どもたちがいたからこのたるんだ皮膚があっても仕方がないと諦める理由を作っているのかもしれません。
そんなことを言えば、子どもたちに「その肉、僕たちのせいにしないで!」と言われてしまうんでしょうが、なんとなくこのビローンとした肉を見ると妊婦時代に自分を思い出します。
そんな自己肯定的な私ですが、もちろんパンツが入らず凹むお腹を想像して、痩せたいと思う時もあります。
でも、今の自分を否定的に見てもいいことはないと思ってしまう楽天的な私。
むしろ、こんな自分でもプラスに受け入れられる心の豊かさに尊敬さえしてしまいそうになります。
そろそろ寒さも落ち着いてきて、薄着になる春を迎えると思うとやっぱりそうは言っても痩せどきです。
私はこの愛着のあるお腹といつさよならできるのか自分でも想像できません。
ただ、もうしばらくはこれでもいいかと思ったり、そろそろと思ったり、ふらふらする自分がいます。
あっでも、そう思っている時点で、しばらくは痩せられないだろうと思いました