自然との戯れ
実家の近くの田んぼには、川から水を引いているみたいなのですが、山が近いせいか水がとてもきれいで、ザリガニや川魚が一緒に流れてくることがよくあります。
田んぼで、水の深い部分がせまいので、子どもでも簡単にすくうことが出来ました。
自宅へ持ち帰り、メダカ用の水槽に入れておいたら、すくすく成長しあれから2年経ちますが、3~5ミリ程度だった稚魚たちが大きいものは5センチ以上になりました。
エサは金魚のエサを良く食べますし、冬の寒いのも大丈夫みたいですが、大きくなって何匹かは水槽から飛び出してしまいました。
どのくらい大きくなるか分からないので、事典で調べたり、水族館の川魚のところへ行って同じ魚がいないか探してみましたが、未だ何の魚かわかりません。
田舎にはこうした驚きがたくさんありますね。
子どもたちは、メダカと呼んでいますが明らかに違います。
熱帯魚用の大きな水槽に水草とともに移すと、気持よさそうに泳いでいます。
正体不明のままこれからも、ペットとして可愛がっていきたいと思います。
やっぱり田舎は魅力があります。
結婚したら、田舎住まいにあこがれていたのですが、口ぐちに人間関係や余所者扱いについて言われ続けてきて、少々ウンザリしていたところなんですよね。
いっそのこと海外に移住してしまおうかとも考えました。
東南アジア諸国ですと、まず物価が日本と比べて相対的に安いですし、起業後の節税についても効果があることも知りました。
今では移住に向けて動いています。
釣り
私が田舎に帰省したときの楽しみはもっぱら釣りである。それもバスフィッシング。
元々飽きっぽい性格なので何をやってもある程度やりこんでしまうと突然飽きる。
唯一飽きずに大人になっても続けているのが釣りなのだ。
釣りはきっと人の狩猟本能を直撃するアドレナリン全開の趣味だと思うが、
はまっている理由はそれだけではなくきっと相手が自然だからだと考えている。
対極にあるのが屋内でのTVゲーム。これはどんなに作りこんだとしてもやっぱり人為的な香りがする。
やりこんでいくといつかはパターンという壁にぶつかる。その証拠に攻略本が出ているではないか。
飽きっぽい人間というのはこの壁にぶつかった瞬間に興ざめしてしまうと思う。
数学で答えを導き出す式はすでに思いついていて、あとは解くだけという状態。
何かを攻略したい欲に狩られている人種にとってはそれはすでに終わったのと同義になる。
あとはこなし作業というか消化試合しかそこには残っていない。
これが自然相手の釣りの場合は事情が違ってくる。
確かに魚が生きものである以上は行動にシーズナブルなパターンが存在している。
しかしそこは生きものである。個体差やそれぞれの意思があって行動している。
これまでの経験であったりたまたま気が向いたりと不確定な要素が多分にある。
昨日まで有効だった釣り方が今日は全くダメ、ということもよくある話だ。
その日その日の魚の気分を紐解いて釣り方を見つける作業、
言い換えると答えを導き出すまでのプロセス自体が攻略したい欲をかきたてるのである。
この欲求を満たしてくれる魚釣りこそが私が楽しみにしている本当の理由なのかもしれない。