社会人教育

学生が社会に出てはじめに取り組むことは、おそらく企業の新入社員研修だろう。
そしてその後様々な段階で、やはり研修と向き合うこととなる。
サラリーマンは研修が仕事であり、半ば義務化されていると考えてよい。

もちろんある程度社会経験をつみ、社会のことがわかってくると、自ら必要な能力や足りない能力を補うために教育研修に参加する機会も増えるだろう。

いったいいつまで勉強をするのだろうか。
そして、経験した研修はその後の社会生活で役立っているのだろうか。

とかく企業では、そのスタイルにぴったりはまることが良しとされ、自分なりに考えたそのほかのスタイルは疎まれる傾向はある。
実は本当に必要なことは、過程ではない以下に結果を出すかということに他ならないように思えるのだが。

企業の社員教育の本質は、社風に染めることなのである。
自己啓発は、個人の主観でやっていても評価は低いのが現状であり、社風や業務にあったものがベターだ。
ひとりで抜け駆けは、足を引っ張られるのがオチだ。

足の引っ張り合いの文化である日本では、横並び、平等、という言葉が大好きである。
全くナンセンスなのだが、それが道徳であるとか、常識であるとか、子どもの頃から刷り込まれているので、身体と脳が勝手に追従するようになっている。

非常に怖い事なのだが、ほとんどの人が異常だと思わないことの方が、もっと怖い。
例えば、名刺を持つにしても、無個性な名刺で営業することが当たり前とされているが、それはどう考えてもおかしいのである。

通信講座

通信講座といえば、本格的な資格取得、専門学習から、趣味の講座まで様々なものがあり、多数の企業・機関が実施している。
一般的なビジネスマンに向けた研修や新人教育のためのマナー講座なども充実している。

その種類の豊富さは、私たちの学習意欲の現われといえるかもしれない。
さらには、好きなことに集中して取り組むとことで満足感を得るという本能的なものかもしれない。

私たちは、何もしないで長い間すごすことには耐えられないようにできている。
というか、何もしないでいると生きている目的・価値が見えなくなるのではないだろうか。

充実した人生を生きる(本人にとって)という観点からも、日々何かに興味を持ち、取り組む姿勢が必要なのかもしれない。
この通信教育には、企業によっては補助金が出ることもあるようだ。
Googleのように20%ルールなど、特殊な義務を課している企業も、実は多いのかもしれない。

与えられた仕事をこなすのがサラリーマンの役目ではなく、ビジョンに向かう戦略の中で計画実行されるべきことに柔軟に対応出来る能力を磨くことが、サラリーマンの仕事である。
目先の業務を処理するのは、単なる作業でしかない。

ここを勘違いしている社員は、昔から言われる月給ドロボーとなるのだ。
今の時代、この言葉を面と向かって言うと、パワハラに相当するのだろう。
正直に言ってはいけない時代になってきた。

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