予備校
予備校といえば一般的には、進学予備校を思い浮かべます。
そのほかにも、資格取得のための予備校だったり、企業の就職試験用の予備校などもある。
一般的な進学予備校は、進学を目指してのカリキュラムが中心だが、中間試験や期末試験対策を中心とした補修メインのカリキュラムも存在している。
後者の場合は、学習塾とかなりに通った内容の場合が多い。
私塾といわれるものにも、学習塾といわれる日々の学習を補完することがメインのものから、進学塾といわれるいわば予備校の進学機能メインのものまで多様な携帯が見受けられる。
学ぶ環境がどこにでもあるというのは、実に素晴らしい事であるが、実は自宅も素晴らしい学びの環境でなければならないのではないかと強く思う。
勉強しない子どもほど、親がうるさい。
親に学歴や知恵または知識に何らかのコンプレックが強いほど、口うるさくなる傾向にある。
子どもに苦労させたくないというのは理解出来るか、自分らの経験を押し付けても、結果が見えているではないか。
失敗の経験を伝えても、失敗の糧になるだけだということに気付いていない。
しかも自分らは、毎日テレビを見てニヤニヤしている姿を見せていての「勉強しろ」は説得力も何もないのだ。
机に向かっている姿を見せるだけで、子どもも自然にそれを見て真似をする。
言動が一致していない以上、何をもってしても子どもはコントロール出来ないのだ。
高校時代の後悔
私は十代の頃、随分と冷めていたというか、色々なことに興味がなかった。
様々なことに挑戦することもなかった。
でも、今思えばもったいないことをしたと思う。
もったいない学生時代を過ごしてしまった。
あの日々はもう2度と過ごせない、戻ってこないというのに。
当時の私はとにかく一部の友人を除けば、クラスメイトと関わることが苦手だった。
人見知りで積極的に話しかけられないうえに、嫌われたくないという思いから、余計に話すことに慎重になっていた。
私は進学コースに通っていたために、夏休みには2泊3日の学習合宿があった。
その名の通り、学習をするためだけの合宿で、宿泊施設に皆でこもって勉強漬けの3日間を過ごすのである。
原則全員参加なのだが、私は何かと理由をつけて毎年参加しなかった。
何を話していいかわからないクラスメイトたちと3日間もいっしょに生活するなんて耐えられなかったからである。
でも、今思えば、とてももったいないことをしたと思う。
学習合宿なんて学生時代しかできないことだし、あの合宿に参加していればあまり話さない人とも交流する機会があったかもしれない。
それに、辛かったからこそ、良い思い出になると思うのだ。
このように私は合宿や部活などを避けて3年間を過ごし、結局青春らしきものは何もしなかったし、何かを本気で頑張るということもなかった。
学外で習っているものがあったため部活ができなかったのは仕方なかったにせよ、学習合宿だけはやはり参加すべきだったと後悔している。
たまに高校時代の友人と会ったとき、学習合宿の話しが出て、皆が楽しそうに話しているのを聞くと、余計にそう思うのである。