粗品
郵便局や銀行で契約・手続きをした時に貰える粗品。
保険会社のセールスレディーが配っている粗品。
景気が良かったころは驚くほど豪華で、お正月に子どものお年玉を預けに行っただけで、その銀行のマスコットキャラクターの絵柄が入った立派なカレー皿をくれたりしていた。
ところが近年不況で、粗品のクオリティーはどんどん落ちる一方なのは誰もが感じていることだと思う。
企業が自社グッズ製作のコストを削減したのだ。
最近は消耗品が多い気がする。
これはこれで今は貰う側も大変ありがたい。
ただ、オマケの効果測定をしているようには思えないので、慣例に従って無計画にやっているだけなのではないか。
とある年明けに用事があって銀行で手続きをしたら、片手で抱えるサイズの福袋を貰った。
中身はタオルやあまり馴染みのないメーカー名の台所洗剤・排水溝用のネット・ポケットティッシュなどが入っていた。
ちょうど我が家では洗剤が切れていたので、痒いところに手が届いたこのチョイスに感心したのを覚えている。
さて、ここにも巧みな心理が作用しているのだ。
人は何か与えられたらお返しをしなければならないと感じる。
返報性というものであるが、特に日本では昔から貸し借りの応酬が日常茶飯事であり、ビジネスにすぐに応用される。
まともな人間なら返報性が効果があるのだが、中には何とも思わない人もいる。
そういう人は無理に追いかけないようにする。
顧客化するだけ徒労に終わる。
気取ったギフトや贈り物
心から大切だと思っている人に、心を込めて贈りものをしたいと思った。
ふだんからネットでメッセージを送ったり言葉で気持ちを伝えたりしている。
だけどそれだけではなくて、形のあるものを、アナログなプレゼントをしたいと、ふと思った。
しかし急にそれをやろうとしても、プレゼントだなんてぬくもりのある行動を今まで全くしてきたことがない私は、どうすればいいのか分からなかった。
母の日や父の日、家族の祝い事などを全部スルーしてきたツケがまさかこんなところで回って来るとは。
そして悩み果てて、贈りものを考えるために、視野を広げてみようと滅多に行かない老舗のデパートに足を運んでみた。
バレンタインシーズンだったのだが、ちょうどバレンタインの催事コーナーがあり、田舎では通常買えない高級チョコレートメーカーの商品がズラリ。
これだと私は思った。
やはり効果はてきめんで、更に親密になれたような気がする。
向こうも、ちょっとずつ態度が変わっているように見えるので、ますますその気になっていくのだ。
何かを与えなければ、何も得られないとはよく言われていたのだが、こうして行動することで真意がわかる。
タダだからと、長蛇の列に時間を浪費してまで並んで、粗品を受けとるような人生では、それなりのものしか得られないということも理解出来た。
浅ましい心での行動は、人生にとって豊かになることを拒否する事と同等な気がしてならない。