ブックカバーのデザイン
日本の本屋で本を買うと、店員さんは「カバーをおかけしますか」と聞くことが多いです。
しかし中国で本を買ったら、持ち主は自分でカバーをかける状況が一番多いです。
本に可愛い、美しいデザインのカバーをかけて、気持ちが良くなる女性が多いですが、カバーをかける理由も様々です。
表紙をきれいに守るためにかける人もいるし、自分の内面世界を他人に見せないためにかける人もいます。
自分でカバーをかけることを趣味としてやってみてもいいでしょう。
まずはカバーの選択です。中国のデパートに販売されたカバーは大体750mm×550mmぐらいの各デザインの紙で、自分の好き嫌いで選択すればいいです。
表紙の2倍の大きさよりちょっと大きくようにカバー紙をカットして、かけします。
自分が選んだデザイン、自分でかけたカバーですから、その本をもっと大切にするのでしょう。
そもそも日本のサービス業は、いささかお客に対しての接し方が過剰とも言えるので、特に、ショップの店員のウザさを訴える人は多いですよね。
ピッタリとマンツーマンディフェンスよろしく、付いて回られることの不快感と言ったらありません。
そのような接客をしている店舗は、まず儲かってないですけどね。
完全に接客のアプローチを間違ってることに気が付かない限りは、売上もジリ貧で間違いありません。
お節介されることが好きな人って、そういないですからね。
お気に入りの本
私の一番大好きな本は「華氏451度」です。
タイトルの「華氏451度」とは、摂氏で表すと約233度、紙に火がつき燃えつくす温度だそうです。この小説は、真実や見たくないものに蓋をし続ける国家に人々は監視され、情報も規制されるという近未来のSFのお話しです。
深く思考すること、知識を蓄積することは禁じられ、本の閲覧や所蔵も重罰に処せられる社会に生きる人々は、家の壁にかかっている巨大なテレビと、耳に取り付けられた海の貝と呼ばれる携帯式ラジオからひたすら受け取るだけの映像と音声に満足し生活しています。子供のころから流されるテレビの映像を見るだけの学校教育で育ったため、この生活に疑問視する者や自分の人生について思慮深く考える者もいません。ある出来事によって主人公は物事を「なぜ?」と考える思考を取り戻します。そして本を一掃する自分の仕事、本を憎み焼きつくす社会をごく当たり前のものとして受け入れていた彼は、自分の世界観に疑問を持ち、ついに禁止されていた本を読み始めます。次第に、社会への疑問が高まっていき、追われる身になってしまうのです。
この小説が書かれた60年前当時には、想像がつかない遠い話に思えたことでしょう。しかし、情報が溢れている現在の私たちの社会では、近い将来に起こる重大な問題に思えて、はっとさせられます。SNSやゲームに夢中になり、パソコンや携帯電話を手放せなくなってしまった私たちは、テレビに夢中になる「華氏451度」の世界と変わりないのではないだろうか、と考えたときにこの作者の直観の鋭さにぞくっとしました。
小説に出てくる老教授が言うように、書物を読むことだけで自分が知りたかった答えを見つけることはできません。書物から物事の本質を得て、それを自分の知識のなかで消化し、行動できたとき、初めてその答えが導き出されるのです。それは、物事の本質を知らなくても、誰かがネットで評価した採点で判断してしまったり、facebookなどで「いいね!」と肯定されることに慣れすぎてしまった現代の私たちには、時には面倒で困難なことに感じるかもしれません。作者が考える未来はもう来ているのか、まだずっと先の話なのか、とても考えさせられる面白い本です。