教師の株
学習塾が市民権を得たのはいつの頃からだろうか。
受験戦争といわれる時代があったが、昔も今も、受験に対する加熱ぶりは凄まじいものがある。
親の期待を一身に受けている子もいるだろう。
かつては公教育からライバル視され厄介者のように扱われていた学習塾。
そのうち無視できない勢力となり、今では学校の先生からも一目置かれる存在となっている。
さらに、80年代後半からは、集結して権利を勝ち取る動きも出て、いまや教育界で絶大な発言権を得るにいたっている。
やはり、ビジネスとして捕らえお客様目線でサービスを工夫し提供することに、公的機関の発想では太刀打ちできないのではないか。
公立学校の運営を民間企業に委託するほうが成果が上がるのではないかとも思う。
学級崩壊ならぬ学校崩壊が起こってもおかしくないのが、公立学校の環境ではなかろうか。
世間を知らずに、お上からの指導要綱を現場に落とし込むだけの教師が増えてきているからこそ、問題も起こる。
無能教師は鍛えなおす、という研修制度があるようだが、今更、ぬるい研修をしたところで能力が発揮できる可能性はゼロに近いのではないかと思う。
民間企業で徹底的に、世の中の仕組みの一部を叩き込む方が、何が社会で役に立つのかが実感出来るはずだ。
社会を知らずに、子どもに何を教えるというのか。
とは言え、学歴自慢は、大人になってからは見っともないだけ、ということを親は気付いているだろうか。
教師という仕事
昔、中高一貫の女子高で教員をしていました。
大学を出てからすぐ、1年半ほど勤めていました。
産休に入る先生と病休の先生との代わりの、臨時職員でした。
教員の仕事というと、やはり中心は授業です。
一年目なのでもちろんそれまでの蓄えが無く、毎日次の日の授業の準備に追われていました。
でもまぁ、それだけなら全然大変ではなかったと思います。
それに加え、副担任として持たされたクラスのホームルームや、配属された生徒指導部の仕事、副顧問になった競技かるた部の活動、入試問題作り、行事の計画などなど……仕事は山積みでした。
部活の引率や休日の出勤、残業、補導などには給料は出ないし、出張に行っても出るのは交通費程度。
家に帰ってからも食事しながらテスト作りをしたり、事務仕事をしたり……年中無休で働いていました。
10キロ痩せて、目の下からは隈が消えなくなりました。
それでも、今になって思えば仕事自体はそれなりに楽しかったと思います。
元々こどもは大好きだったし、生徒も皆懐いてくれました。
時折悪さをして困らせる生徒も居ましたが、悪さと言っても無断でバイトをしたり、授業中にお喋りをしたり、掃除をサボったりする程度です。
最近は荒れている学校が問題になったりもしていますが、私の居た学校は全くそんなことはなかったです。
誕生日やバレンタインの時はたくさんの生徒がプレゼントをくれました。
また退任式の時はかなりの数の生徒が泣いてくれて、手紙をくれたり、近くの雑貨屋さんまで走ってプレゼントを買いに行ってくれたりした生徒もいました。
彼女達から貰った物は未だに大切にとってあります。
一年半という短い仕事期間でしたが、それは私の一生において、忘れられない期間になりました。