マルチメディア
センター試験初日のことです。
終わった直後は、手応えがあったのかなかったのかわからないというのが本音で、ただただ興奮状態でした。
友人と試験の回答について話しながら帰ったのですが、持てる実力を発揮できた感じです。
ネックなのは私が苦手とする英語のリスニングです。
ICプレイヤーを使用しますが、何年か前の誤作動事件が頭をかすめ、集中できませんでした。
ICプレイヤーの操作方法には塾でも使用していたので慣れているはずが、本番では緊張のあまり手が震えました。
操作方法を間違えて時間のロスタイムが発生したらどうしようかと、悪いことばかり考えてしまいました。
あと残すのは理科と数学です。
この2つは得意科目なので落ち着いて丁寧に回答できれば合格ラインに近づけるはずです。
それにしても大学受験はアナログ的ではありましたが、英語のリスニング等が試験科目となってからは、デジタル機器類が登場してまいりました。
しかも、このデジタル機器を駆使して、カンニングを諮る不届き者も出ているそうです。
マチメディアの時代は、ひとつのデジタル機器が、複数の異なる機器とリンクしてデータのやりとりが可能です。
情報はひとつなれども、媒体は数多く、個人の好みによって選ぶことが可能なのですね。
ところが選択肢が多くなることと、デジタルデータを取り扱うための知識が壁となっている人も、たくさんいるようです。
大学受験
高校一年生の頃に二年後に訪れる大学受験を見据えて、二年次の文系と理系のそれぞれのクラスを選択する必要がありました。
私は悩んだ挙句、文系を選んだのですが今考えるとこれは失敗だったかもしれません。
高校に入るまでは理系を志していたものの、高校入学後に小説を読むということにハマり悩んだ末に文系を選ぶこととなったのです。
実際に大学入試の現代文などの文系科目では高得点を得ていたのは確かなのですが、大学入学後のことを考えると成功だったのかどうか自信がないのです。
結局自身がやりたいことではなく、受験のためにより受かりやすい方を選んだだけではないか、と。
一部の専門科目をのぞいて、大学受験においては文系と理系で試験の内容に差がありそのための勉強をするのは無理もないことではあります。
しかしながら大学入試どころか高校に入って間もないころの少年少女に、未来のための進路選択を今決めろ、というのは過酷すぎやしないでしょうか。
上記の例はあくまでも私の母校の例ではありますが、どこの高校でも少なからず似たような選択がされていたことは想像に難くありません。
希望すれば中途でのクラス変更も可能だったようではありますが、稀なケースであり望んでも実際にその希望を口に出来ない雰囲気ではありました。
そして受験が過酷だからこそ、大学に入ってから遊びほうけてしまうような大学生も少なくないのでありましょう。
受験のための勉強だと揶揄されることもある今の受験システムを、自らのための勉強へと方向転換し学生自身が望む方向へとチャレンジ出来るための受験システムへと変えていくべきだと考えるのです。